優しい日常を大切にしたい
このページをご覧くださり、ありがとうございます。
こちらでは私のこと、子どもたちのこと、mimiuのことについてお話ししたいと思っています。
少しでもmimiuのことや私のことを知っていただき、身近に感じていただけたら嬉しいです。
私と子どもたちについて
私には2021年8月に生まれた男女の双子がいます。
双子の男の子の方である息子は「18トリソミー」という染色体異常があります。
この病気は、積極的な治療をしなかった場合の1年の生存率は10%ほどといわれています。
実際に、子どもが生まれた際にも医師から「大人になるのは難しいかもしれない」と言われました。
そんな息子は、生後2週間で手術を受けています。
小さな体にメスを入れることはとても大きな決断だったと思いますが、生まれてすぐで考える間もなく全てがスピーディに決まっていき、気づけば手術を受けることになっていました。
私が息子を初めて抱っこしたのは手術の前日です。
呼吸状態が悪く、一日の大半を薬で眠っている息子は、小さくて壊れそうでした。
保育器に入っている息子を看護師さん2人がかりで抱っこをさせてもらいました。
18トリソミーは手術の予後が悪いことが多いので、「今日が最初で最後の抱っこかもしれない」と思っていたことを今でもよく覚えています。あの時の体重は2000gにも満たしていませんでした。
そして手術は無事に終わり、この手術がとても息子に合っていたのか、彼が強運の持ち主だったのかはわかりませんが
その後の息子はみるみるうちに大きくなり、生後10か月で在宅となりお家に帰ることができました。
息子のような18トリソミーという体質は、体が弱く、少しの風邪でも悪化し、命取りになります。
退院後すぐは息子も風邪をひく度に入院していましたが、体が成長するにつれ少しずつ入院の回数が減ってきていました。
ですが、今でも悪化したり急変することも多々あり、何度も生死の境を彷徨いながらも、元気に回復してお家に帰ってきてくれています。
一方で、娘は息子よりも一足も二足も早く退院し、しばらくは一人っ子を満喫していました。
私の心残りだったのは、息子の在宅準備のため0歳から保育園にお預けすることになったことです。
妊娠と引っ越しで仕事を完全に辞めていたので、保育園にお預けする予定は1mmもありませんでした。
それどころか、生まれた双子を幼稚園に入れるまでをどう楽しく過ごそうかと思っていた程です。
毎日が一瞬で終わってしまう中で、あっという間に成長していく姿をすぐ傍でみていたかったと今でも思います。
私が、もっと要領の良い人間だったら、預けなくて済んだのかな、もっと一緒に過ごせたのかなと何度も思いました。
唯一の救いが、毎日楽しく保育園に通ってくれていることでした。
私は、生まれた瞬間からきょうだい児となった娘には、息子のことで悲しい思いをしてほしくないと思っています。
そして、彼女には誰に遠慮することなく自分の人生を生きてほしいと願っています。
そんな双子ですが、ありがたいことに2人揃って4歳を迎えることができました。
18トリソミーが4歳を迎える確率はどのくらいでしょうか。私にはわかりません。
私は、そんな息子が今を一生懸命に生きる姿や、娘がのびのびと過ごす姿をずっと見ていたいと思っています。
mimiuは、そんな子どもたちと過ごす日々の中から生まれました。
誰かに伝えたい気持ち
双子の出産は、私にとって嬉しさと同じくらい大変さも大きなものでした。
里帰りで出産をしましたが、実家では思うように休めず、切迫早産になり入院をしました。
産後は双子のうち、先に退院した娘を連れて実家に帰ることになりましたが、気持ちはどんどんふさぎ込んでいきました。
きょうだい児である娘を心配する声や、息子の人生を悲観する声があり、最初は受け流せていましたが、私はいつの間にか産後うつのような状態になってしまいました。
私は、「誰もいない世界で、娘と二人っきりになりたい。」と思いながら毎日を過ごしていました。
でもあるとき、入院中に同じ部屋で入院していた方とご飯に行くことがありました。
当時の私の周りにいた人とは違った考え方に出会い、「そんなに完璧じゃなくてもいいんだ」と私は我に返ることができました。
そこから周りの反対を押し切り、実家から自分の家に帰りました。
1年ほどかけて少しずつですが気持ちが軽くなっていき、元の自分に戻っていきました。
子どもたちと初めて会った時の気持ちや、息子には「毎日を楽しく生きてほしい」ということ、最期を迎えるとき「生まれてきて良かった。自分の人生は楽しかった」と思ってほしいこと
娘には自分の人生を楽しんで生きてほしい、遠慮せずやりたいことをやってほしいこと
この気持ちを大切に毎日を過ごしています。
私はやっと、肩の力を抜くことができました。
もし今、しんどい気持ちを抱えている人や、辛い状況に身を置いている人がいたら、どうか「頑張らなきゃ」って思わないでほしいです。
泣いてもいいし、笑えなくていい。
それでも日々はちゃんと進んでいくから、大丈夫。
mimiuの始まり
mimiuはもともと「海外からお取り寄せした子ども服ショップ」として始まりました。
受注販売という販売スタイルは、私が子どもたちと過ごす時間との相性が悪く、子どもの医療的ケアとの同時進行では思うような運営ができませんでした。
そのため、mimiuはいつの間にかお休みをしていました。
日々を自分の時間として過ごす中で、私は気がつけば編み物を手に取っていました。
始めは友人や知人に配っていて、喜んでもらえることがただただ嬉しかったです。
ある日、編んだものを持ってマルシェに出店することがありました。
お客様と話す時間はとても楽しく、また思いがけない出会いと学びに、私の心はワクワクしました。
また出店したい!そう思い、抱えていた作品を次のイベントにも持っていくようになりました。
そうしているうちに、自然と編み物がmimiuの中心になりました。
今のmimiuになったのは、大きな決断ではなく、小さな楽しさの積み重ねでした。
編み物が私の原点
編み物との出会いは10歳のころです。
祖母に教えてもらったのが最初でした。
初めて手にした青い毛糸で編んだ細いマフラーは、端がガタガタで、誰かに見せられるようなものではありませんでした。
何週間もかけて編んだ何十cmにもなるマフラーで綺麗に編めていたのは、最後の3分の1程だけでした。
祖母は私に「最後はとても綺麗に編めている。ここ(綺麗な部分)が何十cmにもなれば、ちゃんとしたマフラーになる」と言いました。
何気ない言葉に私は「いつか上手にできるかも」と期待をしました。
ですが、編み物に対しては特別に夢中になったわけではありません。
私は小さなころから自己肯定感が低く、自分は何をやってもダメだと思っていたいたので、「いつか上手にできる」の「いつか」は一生来ないと思っていました。
それでも、なんとなく続けていられたのは、編み物をしていることを誰にも言わず、自分だけの世界で楽しんでいたからです。
私は、祖母に言われた言葉を少しずつ消化するように、ずっと「もうちょっとやってみよう」と思い、編み物を続けていました。
今考えると、「いつか上手になる」の「いつかは」私にとってはどうでもいいことでした。
私自身が納得できる作品なら、それは「いつか」が来たということだったのです。
そうして20年ほどが経ち、気づけばずっと身近にあったものになりました。
自分の中で楽しんで作っていた作品は、気づけばすごい量になり、友人や知人に配るようになりました。
「くれたやつ、めっちゃ使ってるよ。」
「編み物に対するイメージが変わった」
「この間の、まだある?」
友人がかけてくれたたくさんの嬉しい言葉は、今でも私の宝物です。
私にとっての編み物は「何かを成し遂げるための目的」ではなく、自然とそばにいてくれる存在です。
だから今、作品を作っているのも、すべてが私の暮らしの延長線上にあるものです。
そんな肩ひじ張らない関わり方だからこそ、mimiuの作品は、日常にそっと寄り添えるものになっているのだと思います。
mimiuが届けたいもの
mimiuの作品はあなたの毎日にそっとなじむことを大切にしています。
私の毎日の中で感じた小さな思いが、自然と作品の形になっていきました。
派手ではなくても、手に取ってくださった方の暮らしに寄り添って
少しでも気持ちが暖かくなる存在でいられたら嬉しいです。
これからも、私と子どもたちの時間を重ねながら、ゆっくりと紡いでいきたいと思います。
mimiu yuki